新潟県退職者連合 監事

(IKI・IKIライフクラブ新潟県支部 幹事)

西村 幸子

 実家にあった一冊のアルバムが最近私の手元に届いた。セピア色の写真の1枚1枚に目を通すと、昔の状況が鮮明に浮かんでくる。ところどころ抜けている写真は、誰が持っていったのだろう、どんな写真だったのだろうと思いながら懐かしさが蘇る。半被を着て、豆絞りの鉢巻をしめ、腰に鈴をつけた弟と一緒に写ったお祭りの時の集合写真。小学校の遠足時、おにぎりを食べながら、みんなと楽しそうに話をしている写真。小さな庭にあった縁台で、友達とおはじきなどをして遊んでいる、私の後ろ姿が大きく写っている写真。私のお気に入りの1枚である。5年生のお正月、2人の妹と作ってもらった晴れ着姿の写真。振袖の裾を囲炉裏の墨で焦がして、母に叱られ、緊張した顔が写っていた。職場で休み時間に、楽しそうに話をしている父の写真。宴会の準備をしていたのだろうか、職場でピエロ(仮想)の格好をして笑っている母の写真。カメラのピントがしっかりと合っていて、緊張した顔、笑っている顔、様々な写真の中に、子どもの頃、活き活きと日々を過ごしていた状況が目に浮かぶ。
 私の家は、父が会社勤め、母も仕事をしながら、私たち4人の子どもを育てる、サラリーマンの家庭であった。社宅(6畳、3畳、台所)で、周りの人たちの生活も似たようなものだった。朝全員6時に起きて、それぞれが役割分担を果たし6時30分、丸い飯台を囲んで朝ごはん、7時過ぎ父が仕事に行き、子どもたちが学校へ、母が仕事に出かける毎日だった。
 
 子どもの頃の夢は、自然に恵まれた環境の中で、自分の部屋と広い居間があって、ゆったりと過ごし、廊下にはレースのカーテンがいつも風に揺れているような家に住みたい。夢が叶ったかどうか?と聞かれたら、周りを緑に囲まれて四季折々に季節を感じながら過ごしている今の状況は、ある程度「叶いました」と言えるかもしれない。但し、想定外だったことがある。賑やかだった5人家族が、現在は夫と2人暮らしになってしまったことである。
 
 子育てや家事に追われ、母の介護をしながら仕事を続けてきて、気がついたら老いを感じる今日この頃。カーキ色の好きな夫は、20代の頃のことをよく話す。充実していて楽しかったのだろう。その頃の色が一番濃く、その後だんだん薄くなってきて、現在は薄い黄緑色だろうか。
 
 私はハマナス色が好きである。高校を卒業して入った民間の会社で事務の仕事をしていた。製造業で新潟県内の他、北陸、信越、東北に出張所があった。研究、技術、製造と部門があり、車の整備工場もあった。平均年齢が若い会社で活気があり、みんなで旅行をしたり社交ダンスを楽しんだり、私はジルバが好きでよく動きまわったことを思い出す。
 
 若い時の喜びや悲しみ、多くの出会いと別れ、人間関係の悩みなど様々な体験をしていた頃は、私の人生で最も濃い赤紫色だったと思う。夫のカーキ色、私のハマナス色がだんだん薄くなり、体力の衰えとともに、気力や認知機能が衰え、やがてはアイボリー色に~まるで人生はグラデーション。
 
 現在、週2日のアルバイトをしている。私の働く「原点」は、小学生のころ、夏休みになると、近所のお店でおばさんに頼まれて、店番やかき氷の配達などをした体験にあるかもしれない。そろばん好きな私にとって計算することは苦にならず、その後も父が勤めていた会社の売店でアルバイトをしたことを思うと、「働く」ことは当たり前で、社会に出て、そろばん、電卓、パソコンとツールが変わったけれど、働き続けていた内容は一貫していたように思う。
 2021年、冬を待つばかりの晩秋の頃、結婚して50年。仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)を図りながらのわが人生、限りなく白いホワイトカラーでも、真珠のような光択をもったホワイトパールの色で、穏やかな日々を過ごし年を重ねたいと願っている。