糸魚川地域退職者連合 副会長

古川 昇

 私は2012年に44年間勤めた会社を退職することになり、その後をどう過ごしていくかぼんやりと考えていました。続けてきたのは体を動かす事は好きでしたので職場の仲間と草野球を楽しんだくらいで、できればシニアスポーツをやりたい気持ちはありましたが趣味など考えたこともありませんでした。
 
 諸先輩方にお聞きしますと退職後の長い時間を生きるためには野菜作りや釣り、料理など趣味を持つこと、特技を活かして仕事や楽しみを見つけることが大事とアドバイスを頂き、但し決して無理をしないこと、体に合わないことは続かないということも併せて伺いました。
 
《遠い昔の若い頃》
 さて、いざ退職をしてみると益々何をしていいのか見当もつかず漠然と若い頃に何をしていたのか思い出してみました。
 私は団塊世代と呼ばれる世代です。私が高校を卒業して就職した1968年頃は御三家をはじめ、若い歌手の歌謡曲やフォークソング、グループサウンズの音楽が聞こえていた時でした。
 
 21歳頃に、当時職場の仲間と東京で脚光を浴びて全国に広まって行った「歌声喫茶」の評判が凄いと噂を聞き、糸魚川でもやって見ようと言う事になって喫茶店店主の理解もあり毎月2回、10日と25日に夕方6時~9時まで無謀にも若さと勢いで3時間という長時間で始めてみようと決めてしまいました。
 
 現在と違ってカラオケなどありませんでしたので歌うには全てがギター伴奏でした。歌っていた歌はフォークソング、歌謡曲、唱歌、ロシア民謡、労働歌などなど何でも歌い、また四季の季節に合わせた歌集をつくり、クリスマスシーズンには世間のムードも高まって100人を超える若者が押し寄せキャンドルを片手にギター伴奏で思いっきり声を張り上げて歌っていました。
 其れこそ若い女性や男性が多く集まって中には高校生もいて、人が人を呼び喫茶店の中は活気に溢れて、それは賑やかな歌声喫茶がありました。
 
 歌う歌集は毎回新しいものを手作りして内容の企画もその都度考えていました。テレビでは歌番組もたくさんあって、親しみのあるヒット曲や思い出の曲などを入れて3時間の流れを考えていくのも楽しみな時間でした。
当時はコピー機やワープロ・PCなどありませんでしたので全てガリ版印刷です。お陰でガリ切りは上手になったと思っています。
 
 順調に滑り出した頃、しばらくして親世代の方も時々来られるようになりました。店内を伺っている様子があり歌声喫茶が親御さんにも認められてきたかと喜んでいましたが、お聞きすると娘さんの帰宅時間が遅くなってきた理由が歌声喫茶だと分かり、どんな事をやっているのか心配で様子を見に来たのだなんてこともありました。
 
 始めた当時の社会環境は職場ではコーラスサークル活動の全盛期で全国歌声祭典や県評青年部文化祭典、地域でも青婦協主催の文化祭典などが盛んに開催されていて「日音協」には窪田聡さん.印牧真一郎さんや全国の若い音楽活動家が活躍されていた時代でした。
 地域でも歌声サークルをはじめ、絵画・ダンス・音楽・映画・レク活動など多くの若者が思い思いにサークルをつくって地区会館や施設は日程の取り合いになり若い人たちの活気が溢れていました。
 
 そんなことを考えているときに私が思い出したのは、その頃に下手でしたがギターを弾いていたことでした。30年以上触ることがなかったギターですので弾いてみるとコードは忘れ、指は痛いし動かない、手首は固くて動かないという情けない有様で、今更ながら高齢になったものだと感じましたが時間はたくさんあると思い直して少しずつ練習を始めました。
 
 そんな時に糸魚川市では2014年から介護施設で「あったカフェ」という活動があり、家族や地域の方、支援者、行政関係者が集まって誰でも気軽に訪れる地域に開かれた介護施設にして行こうという取組みが始まっていました。
 
 高齢者施設の皆さんなら私も高齢者仲間ですから一緒にあの頃の歌を歌って楽しめるのではないかと考えて市の担当者や施設の方にお聞きしてみると、快く受けて頂けることになってグループホームでデビューするという久しぶりにドキドキ感を経験しました。
 
 ホームでは女性の参加が多く唱歌や歌謡曲中心に歌い、時には美空ひばり特集も是非などとリクエストが入ります。また、民謡を演奏しているといつの間にか踊りの輪ができて楽しさが一層大きくなって皆さんに喜んで頂いている実感がありました。
 
 何回かカフェにお邪魔した時に、ある方が昔、西海村では行事や集まりで歌っていた村歌があったことを思い出して、昭和の合併で村が無くなり今ではすっかり忘れているが何とか歌いたいとリクエスト。調べてみると相馬御風作詞、中山晋平作曲の立派な村歌と分かりました。もう1人の方が生まれ故郷である根知村の村歌を思い出し是非とも歌ってみたい、作詞・作曲者は同じ方と分かり驚きましたが、何とか両村歌とも譜面を探して全員で歌うことが出来ました。
 昔の出来事を忘れることなく鮮明に思い出し、記憶を呼び起こして活性化することも大事なことだと教えて頂きました。
 
 そんな楽しみがあった「あったカフェ」もコロナ感染が蔓延する中で通うことが出来ずに途絶えて2年以上が経とうとしています。時々介護施設や市の担当者と連絡を取り合っていますが皆さんお元気で暮らしておられるとのことで安心しています。
 早い時期にコロナ感染が収束して、また以前のように施設にお邪魔して皆さんと歌えること楽しみにしている今日この頃です。
 その時までギター伴奏が上手くできるように指の鍛錬を頑張っています。