山うどの魅力から栽培を

仲田 善夫(佐渡地区退職者連合) 

 3月下旬になり、各集落の道普請や関普請の話題が聞かれるようになった。私の地域は、半農半漁の農家が多く、水田と言っても平均4反歩くらいである。私の家は自営業と農業を行っていた。私も店番をしたり農作業をしたりして手伝った。手植えと手刈り、鎌を使った耕作の頃であった。しかし現在、120軒の集落であるが、空き家も半分位になり、稲作を行っているのは、4~6軒位になってしまった。佐渡地区の各集落も、こんな傾向にあるのではないか。

 若い頃、魚沼の職場で山うどに興味を持ち、帰島後栽培に取り組んだ。初めは眺め生長を喜びとし、20年くらいながめ続けた。力強くぐんぐん伸びゆく山うどには大変心を引かれたものだ。退職後、山うど栽培を聞きつけた会社の方が見学に来て栽培と出荷を依頼された。その後、2トン車で3台分の山うどを提供された。

 山うどは宿根で、一度根を伏せると毎年出てくる。40㎝位の白茎が商品となる。そのため、ネギの白根を収穫するようにやっかいであるが畝をあげる。マメトラで耕起し、スコップで2週間かけて畝上げを行う。力を必要とするきつい作業であるが苦にはならない。山うどが好きで、栽培も好きだからだ。また、若い頃の農作業の手伝いが底力となっているからだろう。

 JA佐渡は、会報等にアスパラやイチジクの栽培方法を載せ、農家に栽培を奨励している。農家の収入を高める支援である。私も太い山うどを育てるためにそれなりの工夫を行っているので共感ができる。

 振り返ると、政府の農業政策は猫の目農政と言われているようにコロコロ変わり、常に農家に不安と混乱を生じさせたように記憶している。減反政策がなくなった今日、これから変わることはないのであろうか。

 山うど栽培が鑑賞の対象から、出荷のための栽培へと変わった今、大きな責任と達成感を感じ続ける近頃である。収穫は4月下旬である。