ふるさと雑感

猪又 好郎(糸魚川地域退職者連合 会長) 

 今の組織の前身である、糸魚川地域高齢者協議会が地元「連合」からの強い要請を受けて結成されたのは2000年である。地域労組に退職者組織があるのは、昔の官公労のみで、市職労と教組は互助会のような組織があったが加入を断られ、その後の対策もうまくいかず当初の6団体のみの活動が続いている。最近、民間労組に退職者組織を結成する方向で現役「連合支部」と話し合いの緒についたばかりである。

 糸魚川市は県の最も西にあり、西は富山県、南は長野県に接しており、北は日本海に面している。車で上越市に行くにも国道8号一本しかない。安曇野北部へ行くのも国道Ⅰ48号一本だけだ。海抜ゼロメートルから県内最高峰3千メートルに近い少蓮華山、県内唯一の活火山・焼山がある。人口4万2千人、高齢化率39,3%の小さな市である。

 北陸新幹線の停車駅があるが、新潟には行けない。新潟市に行く直通の特急電車は一本もなく、新潟市に行くより金沢市に行くほうがが速い。市民の交流も長野県安曇野地方や富山県東部の黒部や魚津が多くみられる。文化・慣習では東日本と西日本の境目で、正月の雑煮の餅は「角」と「丸」・魚も「鰤」と「鮭」が家ごとに混在している。言葉も言語学者が「ここが東西言語の境目」と指摘できるという、例えば「橋」のアクセントのつけ方が後ろの「シ」が強調する人もいる。富山の影響を強く受けている人の越中弁と頚城弁が普通に会話している。

 「古事記」に古志の国奴奈川郷(上越、糸魚川地方)を治めている、賢く美しい「奴奈川(ぬながわ」姫」の噂を聞いた大国主命が訪ねてきて結婚を申し込む「相聞歌謡」がのっている。ヒスイ(魔よけや霊力を持つと信じられていた)玉をあやつる巫女が奴奈川姫だ。ヒスイ(霊力のある石)をあやつる巫女(奴奈川社)と大国主命(出雲大社)が結ばれて、生まれた御子が建御名方命(タケミナカタノミコト)で、後に大国主命の「国譲り」に反対し天神と争って敗れて、長野諏訪大社の祭り神になったと神話が伝えている。日本で唯一のヒスイの原産地が糸魚川にある。

 硬いヒスイ原石を加工し、石斧等の道具や魔よけの「まがたま」にする技術は縄文時代中ごろ(5000年前)には確立していたようで、その頃の玉造遺跡から多くの加工途中のヒスイが出てきた。ヒスイの「まがたま」は北海道から九州まで分布し、縄文時代から弥生時代の遺跡から出土している。その分布から交通の発達していない時代にどの様にして伝播していったのか不思議である。

 ところでヒスイ石は永く日本では産出せず、遺跡から出土するヒスイは外国からの輸入されたものと考えられていた。それを覆したのが、糸魚川出身の故「相馬御風」(童謡・春よこい、早稲田大校歌・都の西北の作詞者)である。友人の学者と共に、姫川の支流、小滝川の近くの住民から、川で拾ったと美しい緑色の石を見せられ、ヒスイと見抜き、この川の上流にヒスイの原石があると指摘したのである。その後川の中に原石の巨岩見つかり、小滝川の上流がヒスイ峡と命名され名所となっている。研究の結果、各遺跡から出土したヒスイの「まがたま」は糸魚川産であることが判明した。今でも運が良ければ、海岸で拾える。このほど、「国の石」に糸魚川ヒスイが認定された。

 天津神社(天神)と奴奈川(地神)神社を両方奉る宮の境内で「ケンカ祭り」(毎年四月十日)と称する、二体の神輿を激しくぶつけ合い、押し合い、疾走する勇壮な祭りがある。古代の中央権力と地方部族の争いを思わせる祭りだ。祭りの最後に競走で優劣を決めるが、走る距離は一方が短いから早く着く。この位置を一年ごとに交代する、勝っても負けても、豊作と豊漁を祈願したと、両方で勝利の勝ちどきの声をあげ続け、どちらかが止めない限り続く。優雅な舞楽も行われる。太古の争いを再現し征服しても、されても共存共栄を図る祈りの祭りの様にも思える。

 糸魚川は海の幸山の幸が豊富にある、アンコウ・紅ズワイガニ・甘えびは有名である。是非一度新潟県の最西端の糸魚川へおいで下さい。