「帰りたい・でも・帰れない」

山内 武雄

 

 10月20日 東北自治退協第22回総会が福島市で開催された。総会に先立ち「原発事故で避難を強いられ」と題して、福島県職員退職者会のK氏から報告を受けた。

 K氏の住所は福島県浪江町津島地区。浪江町は全域が避難指示区域。津島地区は帰還困難地域に指定され、居住ができない。地震による被害は皆無に近い。4年半が経過した今、いつ故郷に戻れるか、戻ることは可能か、故郷の喪失は目の前と言う。

 原発事故は地域社会も地図から払い去ってしまうのか。

 翌日、大型バスで飯館村へ「除染作業中」ののぼりが無数にはためいている。電線や道路脇のピンクのリボンは重機による電線の切断や路肩からの転落防止のため。山木屋地区は8月に帰還準備が始まったというが、いたるところに放射能除染土壌の黒い袋が積まれており、その行先は全く不明。

 全村避難が続く飯館村二枚橋付近、ヒマワリが田畑を鮮やかな黄色に染めていた。農地の栄養分を回復するためと聞く。暖かい秋晴れの下、住民は誰もいない。いるのは除染作業員のみ。小学校も子供たちの声はない。福島市内の小学校では、子供たちが、グランドで大きな声を上げていた。

 川内原発2号機・2号機も再稼働した。これからも高浜・伊方と再稼働が続く。