新潟県退職者連合 監事
(IKI・IKIライフクラブ新潟県支部幹事)
西村 幸子
最近旅先で、ガラスの小さなコップを買いました。色は薄い茶色で少し厚みがあり、飲み心地がとても良いです。自分の為にだけ好みの食器を選んだことに、不思議な気持ちの変化を感じました。 4年前の夏、病気で旅立った夫のことを思い出しています。40年ほど前家を新築した時、小柄な私に合わせて、標準より低い調理台が設置されました。今、無理をせず楽しみながら料理を作っています。
退職後、畑で野菜や果物を作っていた夫は、公民館主催の料理教室に6年ほど通っていました。
煮物、焼き物、お菓子など、いろいろな物を作って楽しんでいました。面取りをした野菜を下ゆでして、時間をかけて煮込んだ「モツ煮込み」は美味しくて、大鍋があっという間に空になりました。若い時に調理師の免許をとったことを自慢していた夫でしたが、やっと願いが叶ったようです。
社宅に住んでいた頃の実家の台所は、1坪程の小さな場所で、母はよく三波春夫や美空ひばりの歌を歌いながら食事の支度をしていました。家事や育児や仕事に追われ、休む暇もない生活の中で、子どもの参観日にはよく来てくれて、遠足にも付き添い、運動会にはお寿司やおにぎりなど、皆の昼食を用意して応援してくれました。
父の料理は野菜を細かく切ったのっぺや煮物、ふっくらと焼きあげた魚などを得意としていました。節句の季節、私たちは笹団子を作るためのヨモギを摘み、皆で笹団子やちまきを作る手伝をしました。団子を笹でくるみ、スゲで縛る手際の良さは父が一番で、何をするにも丁寧で起用な父でした。
増築や新築をするたびに、台所が少しづつ大きくなって、使い勝手の良い調理台、電気がま・冷蔵庫などが揃い、いろいろな料理が作られました。
カバンの中に工具箱を入れて学校に通っていた夫は、ラジオやカメラを分解したり組み立てたりすることが好きだったようです。無線機などの部品を購入のため東京の秋葉原に行ったりと、子どもの頃から好きだったことが電機関係の仕事に就くこととなり、長く続いたことが頷けます。
仕事や趣味に恵まれ、「悔いのない人生を送ってきた」と言っていた夫でしたが、叶わなかったことが1つあるのではないかと思います。
「戦死をした叔父さん(母の弟)が亡くなったガダルカナル島へ行ってみたい」と願っていました。
白木の箱の中に遺骨ではなく砂だけが入っていたそうです。結婚してすぐに戦地に行かれた叔父さんはとても美しい人で、着物姿の叔母さんの写真を見て、美男美女のカップルだったんだなあと思いました。
夫が亡くなる少し前に「ガダルカナル島激戦80年で追悼」の見出しで、新聞の記事が載っていました。
白木の箱の中に遺骨ではなく砂だけが入っていたそうです。結婚してすぐに戦地に行かれた叔父さんはとても美しい人で、着物姿の叔母さんの写真を見て、美男美女のカップルだったんだなあと思いました。
夫が亡くなる少し前に「ガダルカナル島激戦80年で追悼」の見出しで、新聞の記事が載っていました。
― 南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島で、旧日本軍と米軍の激戦が始まってから8月7日(2022年)で80年となり、首都ホニアラで日米それぞれの慰霊式が行われ、日米高官らが追悼した。―
新聞を見る力もなかった夫でしたが、病気でなかったら何と言ったでしょうか?叔父さんの帰りを待ち続けていた大好きな叔母さんの話をしたことでしょう。数えきれないほどの尊い命が失われ、数え切れないほどの悲しみを残した戦争への思い、決して忘れることはできません。
果物農家だったわが家に残った梅・葡萄・柿の木、収穫は少ないけれど、梅酒や梅干しジャムなどを作っています。時々帰って来る子どもや孫たちのために食事を作り、自分の好みに合ったものを作る今日この頃、実家の台所と居間を兼ねたわが家の台所を通して、「生きることは食べること」を実感している食いしん坊な私の「食」への「こだわり」がまだまだ続きそうです。
鎌倉に住む親友から「彩むすび書」をZOOMで習って3年になります。筆ペンを使って文字や絵を自由に描く、「絵手紙」によく似ていますが、形に縛られない新鮮さに驚きながら、楽しさを味わっています。








