新潟県退職者連合 幹事

(農林水産省退職者の会 会長)

 明間 修

 

 原稿依頼があった。「困ったなー」と思った。「何でもいいから思いつたことを書いてほしい」との事。幼い頃から「読み、書き、そろばん」が苦手な私。これと言った趣味もなく特技も持たず世渡り下手な人間にと思ったが・・・事務局の要請に応え、紙面を埋めること位は協力しようと思い、悪戦苦闘しながら書いていた。

 多くの皆さんは、退職時に「送別会」と言うものを経験していると思う。挨拶では「これからは現役時代にはやれなかったことをやり、身体に気を付けて充実した第二の人生を過ごしたいと思います」とお礼の挨拶を述べると思う。私もご多分に漏れず、花束を抱えながら挨拶をした記憶がある。投稿の依頼を受けた時、この重い言葉を思い出した。

 

 ここに1冊の本がある。

 「定年後」(中央公論新社刊)・・・50歳からの生き方、終わり方・・・と副題が添えてある。2017年に発刊されている。

 購入時は、サラーと読み流した。こんな生き方ができればと思った。以後、本棚の片隅に積んで置いた。これを機に改めて読み返して試た。三つのワードが気になった。

 一つは「黄金の15年間」二つは「自分の居場所」三つは「余生と誉生」といったワードである。

 

 まず「黄金の15年間」とは? 

 60歳で定年退職を迎え、平均寿命の85歳を仮定するとした場合、1日の自由時間は11時間ほど(10時間と言う人もいる)あると言う。もちろん、必要な生活時間(睡眠、食事、入浴等除く)を除いた時間である。

 60~75歳までの15年間は心身ともに健康な状態であることを前提にすると、自由時間は、なんと、約6万時間はあることになる。著書では、この15年間を「黄金の15年間」と呼んでいる。

 75~85歳の10年間は、加齢と共に足腰も弱くなり、基礎疾患も伴うことから、一日の自由時間は健常者の1/2相当の5.5時間、10年間の自由時間は、約2万時間あるとしている。

 定年退職後~85歳までの自由時間は、実に約8万時間を超えることになる。

  *1日=11時間:25年間合計80300時間の内訳

   「60~74歳」:11時間×365日×15年間=60225時間

   「75~85歳」:11時間×1/2×365日×10年間=20075時間

 一方、21~60歳までの現役時代の総実労働時間は、40年間で約7万時間超と推計され「日々の生活を営み、老後の蓄えを」と思い働いた長かった40年間である。

  *2016年厚生労働省毎月勤労統計調査

   1783時間:「年間総労働時間=所定内労働時間+所定外労働時間」

   40年間「21歳から60歳までの40年間」

   1783時間×40年間=71320時間

 

 一概に比較はできないが、定年後は、現役時代の総実労働時間以上の自由時間有し、実に貴重な自由時間を授かっていることとなる。

 特に「黄金の15年間」は大切な自由時間である。

 著書よれば「多くの時間を自分のために費やす最後のチャンス」と表現されている。「なるほど」と頷かされる。

 第二の人生、生かすも殺すもこの「黄金の15年間」に懸かっている。有意義に使いこなすかが大切と言うことになるが、これまでの私の生活を振り返ると寂しい限りである。

 

 次に、「自分の居場所」である。

 著書では、家庭、地域社会での「居場所」を問うている。

 縦型組織の生活に慣れ親しんできた私にとって、退職当初は戸惑いもあった。暫らくの間は外出することが無性に嫌だった。世間話もできず、あいさつ程度。同世代のご近所さんは、まだ、現役として働いている。その引け目もあってか恥ずかしさを感じていたことを覚えている。

 家庭に於いては、家族は仕事、私は母の介護。それなりの居場所はあったと思いつつも勝手が違う。母亡き後、その言い訳も利かない。一昔前のCMではないが「亭主元気で留守がいい」的存在は避けたいと思う。居場所を探し出すことも老後の楽しみか。

 最後に、「余生と誉生」の話である。

 辞書等では「余生」とは「盛りの時期を過ぎた残りの人生」とか「活動期を過ぎた生涯の残りの部分、残りの人生」等々と書いてある。むなしい思いしか浮かばない。

 著書には、何をしなくてもいい自由を選ぶのが「余生」、何をしてもいい自由を選ぶのが「誉生」との一節がある。どちらの自由を選ぶかは自分自身にあるという事のようだ。

 「余生」を選択することも人生。「誉生」を選択するものも人生。ならば、何かに積極的な関りを持つ充実した「誉生」を選択したいものだが・・・

 

 それにしても、リーマンショック以降、社会・経済情勢が大きく変化し、東日本大震災が追い打ちを掛け、昨今、新型コロナウイルス感染症対策と世の中混沌としている。まことに生活しにくい社会である。ここに来て、今さら、新たな定年後を描けとでも言うのか?

 私が若かった頃、集会や労働講座などで「グローバルな時代の到来」とか「絆」とかと言った言葉をよく耳にし、学んだ。今、その言葉の真の意味が問われているのだと思う。

 動く、話す、交わることさえも難しい異常な状態が続いている。私は、ただ単に普通の状態に戻ることを願ってやまない。

 科学的知見も知識もなく、マスコミに翻弄されるばかりの今日だが、気持ちは「ウイズコロナ」で「収束」するのではなく、「終息宣言」を以てこの難局を乗り越えてほしいものだと思っている。そして、改めて普通に「黄金の15年間」に挑戦したいと思っている。

 ポイントが絞れず長文になりました。雑感と言うよりも、読書感想文で終わりましたが、締め切り期限を最優先に書いてみました。

 「読み、書き、そろばん」大変難しいですね・・・