新潟県退職者連合 幹事

(基幹労連退職者の会)

小柳 均

 私が初めて腰痛になった時の話をします。
 いまから5年ぐらい前、運動もしないのに急に腰痛を覚えました。ずーと、この方歯医者以外は医者にかかったことがないのに夜も眠れないほどの痛みで整形外科に診てもらいました。その結果、先生は若い健常者のレントゲン写真と私の物と比べて見せ、腰の骨の隙間を指して曰く「加齢とともに無理をしたり・疲れると隙間がないので痛みが発生します」との診断でした。その日は患部に電気を当てて痛み止め薬をもらって帰りました。処方された痛み止め薬はサッパリ効かず一週間ほど通って辞めました。以降、無理をせず・体を冷やさないように心掛けきたところです。
 
 それから毎日カルシウムを取るためチーズなどを欠かさず食し、さらに家内が服用していた(某社)キューサイ株のコラーゲンを分けてもらいながら、無理せず・冷やさず過ごしました。
 

 しかし、ゴルフの誘い及び60歳から始めたボウリング会などあり、ゴルフはハーフをプレーして、後半のハーフはカートの運転手を。ボウリングは良くしたものでボウルを投げなくとも置けば終点まで届き、投げないに徹しました。ボウリングでの病んだ3か月間は何とか、月例会も休まず参加することができました。

ボウリングは前列左から2番目が本人

 
 その間、家の中に新たな発見がありました。私が60歳前の現役時代に購入した「ぶら下がり健康器具」を見付けました。部屋のタンスの隅に押しやられていて、家内がハンガー掛けに使っておりました。10数年前に買った時、組み立て放なしで部屋の隅に置かれていたものでした。なぜ購入に至ったか・・・私が20歳代後半の時、社内の腰痛対策に健康保険組合が今はジムに行けば何処でもありますが、当時はやりの?「ぶら下がり器」を、所内の各職場と浴室に設置されたものでした。私も若かったので使用したことはありませんでした。でも、たまに風呂上りのイタズラに飛び付いて懸垂をやったりしました。(余談、遠く思えば私が小学校の時、毎年行っていた体力テストの鉄棒で、男子は懸垂の回数・女子はぶら下がりのタイムを競って記録をとってました。ほかに50M走・遠投・幅跳びなどの種目があったように思います)従って風呂から上って飛び付けば、男は懸垂でした。しかし、この年になるいくら頑張っても懸垂はゼロ回でした。
 
 取り敢えず、ぶら下がり器に挑戦してみることにしました。最初は「60秒ぶら下がって休む」を繰り返し、無理はしないよう3回/日を目指しました。難儀く苦しい時間でしたが、終ってみれば爽快でした。負荷はぶら下がりの秒数とぶら下がりの回数を徐々に増し、休憩の時間も四股踏みやスクワットに変え、併せて家内からの支援のコラーゲンは止めることにしました。地球の引力に逆らって、空中散歩で自重を支えることはとても難儀でした。
 ぶら下がりが難儀くなると(余談、50年ほど前の米国映画「ポセイドン・アドベンチャー」のクライマックスシーンを思い出しながら・・・主演のジーン・ハックマンが、乗った豪華客船が年越しのカウントダウンの真最中、津波に飲まれて転覆、乗客は転覆した船に閉じ込められました・・・その転覆したポセイドン号から脱出するシーンでジーン・ハックマンが、行く手を阻む数々の障害を乗り越えながら、最後に・・・洩れる蒸気のバルブに飛び付いてぶら下がり、バルブを閉め蒸気を止めるシーンがありました)そんなシーンを思い出しながらジーン・ハックマンになったつもりで頑張ることができました。
 
 ぶら下がりを続けた甲斐あって、私の腰痛はほぼ以前に戻りましたが、このぶら下がり健康器具はあくまでも腰痛予防と思っていますが、でも①七十肩にならず ②体重が減った➂終了後に爽快感があり ④年々鉄棒が高くなり、背丈が縮むのが実感できたという効果があったと思っています。 
(参考)②体重が増えるとぶら下がりが難儀くなるので、バカ食いはしなくなった
 
 ところが、私は毎年5月頃に年1回我が家の生垣の手入れをします。高さのない生垣を剪定鋏で刈ってましたが、年々手が届かなくなり鋸を使用するようになりました。昨年、魔が差してか左手の人差し指の第2関節部を切傷してしまいました。傷は深く半年間ぶら下がりを休んでしまいました。そして今、半年間のブランクを埋ようとぶら下がりを立ち上げ中で、ジーン・ハックマンを思い出しながら頑張っているところです。