新潟県退職者連合 副会長
(JP労組新潟連協退職者の会)
山田 太郎
上越新幹線の車窓に広がる魚沼盆地の向こうに、越後三山の雄大な山並みが見える。越後三山とは八海山(1,778m)、中ノ岳(2,085m)、越後駒ケ岳(2,003m)の総称であり魚沼三山とも呼ばれる。
その中でも八海山は古くから霊峰として知られ、山岳信仰の対象になってきた。三山全域が越後三山只見国定公園に指定されている。
日本アルプス等の山岳に比べて標高はさほどではないが変化のあるコース、迫力ある岩稜帯などが連続し登山者に人気がある。三山をめぐる縦走コースもあるが、かなりの難路であり中ノ岳と八海山の間には、大きく落ち込んだオカメノゾキの難所がある。
登山道は北から大倉、大崎、城内口があり、9合目の千本桧小屋に集結する各コースの合目ごとに、不動尊や猿田彦をはじめ霊神塔の石碑が数多く見られるのは、信仰登山が盛んであった証で、今も白衣姿の信者の登拝を目にする。
「八海」の山名については「頂上に連峰八層あり、その形次第に高く階梯を登るが如く、故に昔は八階山と書きし由」とか、「山中に八湖あり、故に八海という、一説に八峡という山中の深谷あり、因って名付く」などの古文書がある。
八海醸造株式会社の酒「八海山」の名前は、この山から取られた。
今から数えて55年前、親戚や父親の職場の人たちに誘われ3年連続して八海山に登ったのは、私がまだ若かりし頃、中学生の頃であったと思う。当時は、ロープウェイもなく、山麓の八海山神社の社務所から一般大人の脚力でも9合目の千本桧小屋まで6時間(大崎登山道)は必要とした。
今年6月、奇遇にも八海山の先達さん(山伏や一般の信者が山に入る際の指導者)と酒を酌み交わす機会があり、過去に3回八海山に登った体験話が引き金となった。
4年前の高校生の滑落事故や昨年の山岳救助訓練中の消防隊員の事故などが話題となった。話は弾み、8月30日に八海山の山仕舞いの儀式を行うから、是非、参加するよう誘われた。酔っている時は、気が大きくなって出来もしないことなど軽はずみな返事をしてしまうことがよくある。(後悔と反省)
翌日、酔いから冷めてよくよく考えてみると、来年70歳にもなろうかという“中期高齢者”が途中、鎖場も随所にある危険極まる岩山に登っていいものだろうか、非常に迷った。
やはり体力に自信がない、足手まといとなって人様に迷惑をかけたら申し訳ない、との思いから、若気の至りとは言わないまでも酔った勢いでの話なので、と一度は丁重にお断りを入れた。
しかし、先達さんは、「いゃ~山田さん、今は昔と違って山麓からロープウェイが4合目付近(登山道の半分ほど)近くまで運んでくれますから何も心配はありませんよ。必ず登って良かったと思いますから、是非、一緒に行きましょう。」と、親身になって改めて誘われた。
それと、仲間(私より18歳若い)も参加することもあって、腹を括るというか、そこまで言うなら登ってやろうじゃないかと開き直った。さぁ、それからが大変。登山の道具を物置から探し引っ張り出した。登山靴、懐中電灯、雨具、虫よけ等々・・・・
本格的な登山なんて、20年以上前に子供を連れて立山黒部へ行ってからは、ほとんどなく、弥彦山か与板の裏山程度しか
行っていないので不安だらけの中、当日を迎えた。
仲間から車で自宅まで迎えに来てもらった。山に向かう道中はかなり雨足の強い降りであったがロープウェイに乗る頃にはすっかり雨も上がり、改めて日頃の行いがモノをいうものだと天に感謝した。
さて、時間にして8分ほどのロープウェイを降りてから3時間弱の登山が始まった。日頃、トレーニングジムで筋トレ等をしているが、その成果なんて全くクソの役にも立たない。脚力(筋力)もさることながら登山は、改めて心臓と肺機能の勝負だと感じさせられた。パックン、パックン、ゼェー、ゼェー、死ぬ!かも、しかし、今さら引き返せない。
実は、数年前、人間ドックの肺機能検査で肺年齢95歳、COPD(慢性閉塞性肺疾患、原因のほとんどがタバコで10年以上喫煙経験者に多い。)の疑いありと診断された。長岡の日赤病院で精密検査を受け、結果は立派なCOPDであった。
主治医からは、「山田さんの場合、喘息持ちでCOPDですから、コロナに罹れば間違いなくエクモ「ECMO」(体外式膜型人工肺)」のお世話になりますよ。」と注意はされていた。そんなことも頭をよぎり頂上まで行けるか不安は募る。
途中、休み休み先導してくれている先達さんは、何と歳を聞けば78歳ということだ。
しかも息は乱れていない。我々のペースに合わせてくれていたのだ。化け物か鉄人ではないかと疑う。本人は、80歳になったらこの稼業から引退すると言っていた。50歳代の頃には、片道6時間(一般の人)必要とする山道を18時間で3往復したという。修行とは言いながらも大変な精神力を感じさせられた。
こうして3時間ほどかけて、ようやく55年ぶりに9合目にある千本桧小屋にたどり着いた。
しかし、これで終わりではないのだ。汗だくの着衣を着替え一休みして、精神を整え往復2時間かけて八ツ峰に向かう。登ったことのある人はご存じと思うが、岩山の絶壁を鎖につかまりながら昇り降りする、その連続だ。手を離せば、峰から滑落すれば間違いなくこの世とおさらばじゃ。これまでの事故が思い浮かぶ。
脚が竦む。当日は霧が深く谷底が見えなかったことが幸いしたと思う。
地蔵岳・不動岳・七曜岳・白河岳・釈迦岳・摩利支岳・剣ヶ峰・大日岳と山麓から上を眺めるとラクダの背中が8ツ並ぶ山峰、それが八ツ峰だ。一心不乱に登るただひたすら。この数十年間、これほど真剣に物事に向き合ったことはなかったのではないかと思えるほどの緊張感の連続であった。
何はともあれ心身ともにくたびれ果て無事に山小屋にたどり着いた。「いゃ~頑張ったなぁ。いい歳こいてよくやった。」、と内心自らを褒め讃えた。
いい仕事をやり遂げた後の山小屋の夕食がまた楽しい。今日が山仕舞いでもあり、何人かの修験者・先達の方たちが山小屋に八海山の神社を奉った社屋で護摩を焚きお祓いをする。信者でもないが我々も参加した。
昔と違って山小屋には、テレビも電気(大型バッテリー)もあり何不自由(山小屋にしては)のない夕食会となった。十数人一緒に登山行動した人たちもその日のうちに下山した人、別の山小屋に泊まった人など、結局、残る6人が千本桧小屋に宿泊することとなった。
夜は何もすることもないので、リュックで担いできた酒類をひたすら片付けるしかない。山小屋では缶ビール(350cc)が1缶700円で売っていた。古町の飲み屋レベルだ。仲間はアイスボックス(中は缶ビール、ハイボール、氷など)を担いできたが正解だった。私も焼酎・日本酒など、落としても割れない紙パックで運び込んだ。
先達さんたちの話は現実離れしている。修行を積んできた人の話は非常に感慨深いものがありボンクラな私には理解できないことが多かった。価値観が違うというか生きる世界が違うというのか、これまでの組織で付き合ってきたタイプの人たちとは違う生き方をしている(してきた)人種ではないか。今更ながらこれもいい経験だなぁと思える。
結局、夕食会は、夕方の5時頃から始まり、12時過ぎまで飲み語りが続いたが翌朝は5時からの修行(護摩焚き)に二日酔い状態で付き合わされた。遅くまで一緒に飲んでいたのだから仕方ない。それにしても修験者は鍛え方が違う。そんな状態で下山に向かった。もう道中危ないカ所はそんなにない。しかし、下りが登りよりも足腰(特に膝)にくるから負担のない下り方について先達さんからレクチャーしてもらった。
そして、3時間弱かけてロープウェイ乗り場まで予定通り下山してきた。人に迷惑をかけず無事帰ってくることが出来てホット胸をなで下ろす。「山田さん、八海山に登って良かったと必ず思えますよ。パワーをもらえますよ。」と言われ誘われて登ってみたが、いま、しばらく時間が経ってそのことを実感している。遠くから眺める八海山を見る度に、あの山頂まで駆け上がってきたんだなぁ、と懐かしく感じ入っている。
78歳の先達さんは、あと2年、80歳で引退すると言っていた。また、来年もこの時期、一緒に登ろうと誘ってくれた。他の先達さんは、「山田さん、3年は連続して登らないとダメだよ。」と言っていた。まぁ元気なら、たぶん来年、再来年とお世話になった先達さんが80歳を迎えるまで付き合うことになるかも知れない。