愛犬

NTT労組退職者の会 幹事 木村 道夫

愛犬「バグ」との出会い

 それは家内の職場の同僚が「子犬が産まれたので見に来ない」と誘いがあったようで、気は乗らなかったが自宅にお邪魔した。7匹が段ボール箱に入っていた。
 既に4匹が行く先が決まっているという、家内が家族全員で了承すれば飼いたいと言い出し何となく承知し、連れてきたものの子犬の居場所にも一騒動。

 番犬で車庫に犬小屋用意すればと思いきや、この時代ペットとして飼うのだという。取り敢えず玄関フロアーにサークルを作り置くことで妥協。名前は「バグ」と命名。家族は共働きと大学生で日中は留守にするため、小生が昼休みに便の後始末とシーツの取り換えに帰宅することになった。成長するに連れ、サークルから飛び出し遊びたがり、小生が留守の時は部屋に入れている様子。しかたなく日中は車庫に門扉をつけて入れ、家族が帰宅すると家の中に入れる生活となった。小生が帰宅すると廊下を一目散に駆けてきて顔をペロペロ。「うーん、参った」、家族の会話もバグのことばかり。日に日にその存在が大きくなって何をしても大目に見て、失敗も「ま、いいか」の連続。すっかり家族の中心だ。

バグのケガ、ドッグスクール入校

 そんな生活が続くある日、廊下ではしゃぐバグが廊下のガラス戸に突っ込んで相当の出血だ。時間外だが病院へ連れ込み入院、11針縫う大ケガだった。翌日、退院したものの熱が出て家内が会社を休み看病、まったく人間の子供と同じ心境。我が家にとっては初めて飼う犬だったので、チャンとしたいと市主催の「しつけ教室」にも参加してみたが、なにせ1ヶ月に5㎏づつ増える成長、知識が追いつかず、友人の紹介で「新潟ドッグスクール」に入校させることとした。

 4ヶ月のコース、週末には会いに(写真は校内でバグと小生)通った。
 姿が見えないうちから我々が来ていることが解かるらしく、落ち着かない様子で犬舎から出てくるという。訓練中も時々、我々の所へ走ってくる、たまにしか会わなくても忘れていないんだよなー。それでも何とか4ヶ月をこなし、立派に(?)なって卒業した。

 しかし、帰宅したら学校がアドバイスするようにはうまく行かず・・・。今が大切と思い休日を利用し、阿賀野川河川敷へ連れ出し(写真)訓練のマネ事をしていたが、甘く見られ、名ばかりのドッグスクール卒業生になってしまった。    
 それでも一緒の生活が長くなるとよくしたもので、こちらの言葉はほとんど理解できるようになり、しゃべれないだけのバクだ。

バグの抗議と崩れたアリバイ

 こんなエピソードがある。夫婦いずれかが夕方までには帰宅し、散歩させ家に入れるのが決まりとなっていた。その日は小生の当番だったが、同僚とチョッと引っかけて帰りが少し(?)遅くなったが、散歩と車庫の片づけと始末はしたので、異常なしで家族が揃った一日だった。しかし、そう問屋はおろさなかった。車庫で留守のバグが暗くなったのに、帰らぬ家族に寂しくなったのか「キューン、キューン」と鳴き出しため、近所のオバサンが不思議に思い来てくれて、門扉超しにバグをなだめてくれたのだそうだ。そのことが後にオバサンから家内に伝わりバレてしまったのだ。

そして老い、病気、死を迎え

 我が家に楽しさと癒しを与えてくれたバグも老いには勝てず、そして晩年、赤血球が溶ける病気、胃捻転、腫瘍と病に侵され、体重も相当に落ち、最後の3日間は床を並べて看病するも死を迎えた。この年は2011年東北大震災発生の年だった。15年4ヶ月と大型犬としては長生きであったが、もっと生きていてもらいたかった。

 霊園で弔いをしてもらい、焼骨をして遺骨は引き取ってまだ我が家に置いてある。いずれ庭の片隅に埋めることにしている。脚本家三谷幸喜氏は愛犬「とび」を肝硬変で亡くし、ありふれた生活の変わりようのなげきを新聞に投稿していたが、その気持ちは良くわかる。犬仲間から「次の犬は」と勧められるが、我が夫婦と犬の寿命を考えるとき、ペットが後になるようではと考えると迷惑はかけられない。ペットにかかる生涯費用、大型犬なら500万円の2002年の新聞記事。それを超えたバグであったが、それ以上の贈り物してくれた。2011年は忘れられない年となった。