新潟県退職者連合 顧問
早川 武男

 高校を卒業するまで長岡市で過ごされたエッセイストの半藤末利子さん(作家松岡譲の4女。夏目漱石の孫)が、最高の伴侶であったとおっしゃる、作家で昭和史研究家の半藤一利さんを見送るまでの日々を収録した「硝子戸のうちそと」を秋の夜長、読み返した。

 ご夫妻の生活の拠点は東急井の頭線の沿線。「硝子戸のうちそと」には渋谷駅をはじめ付近の日常が描かれているが、ページをめくるごとに渋谷が懐かしくなり、小春日和のある日、ゆっくりと界隈を歩いた。

 勤務していたころの渋谷は、新宿や大手町、丸の内などと違い高層ビルは1棟のみで、それがヒカリエをはじめ何棟も建っている。あまりの変わりようにびっくりしたが、時おり奮発し食べに行った道玄坂の有名なうなぎ屋さんは――半藤ご夫妻も通われていたようだ――、店舗こそ古くなっていたが商売されていたし、ハチ公も昔と同じ場所できちんとおすわりしていた。

 

 私は、全電通労組(現NTT労組)の専従役員を退いてから、道玄坂に本社を構えているゼネコンに招いていただいた。

 ゼネコンは受注産業だから営業活動が重要で、日常的にお客様である多くの会社・団体を訪問した。お中元・お歳暮といった季節の慣わしのみならず、ここぞという場面では担当役員の方々を酒席にお招きし、お客様の好みにより東京ドームでの巨人戦や大相撲観戦、歌舞伎座公演などをご案内した。

 天の声により2年程でⅮ共済生協へ異動したが、しかるべき地位に就かれている方々の接待は、民間会社の方であっても、社会通念と照らし華美にならないよう細心の注意を払った。

 今、東京五輪のスポンサー契約をめぐり、電通元専務で大会組織委員会の理事(みなし公務員)だった高橋治之が、東京地検特捜部に捜査されている。もともと五輪マネーに関しては黒い噂が駆け巡っていたが、贈収賄・ピンハネ・中抜きといった、社会通念もへったくれもない守銭奴の悪行三昧には唖然とする。

 

 末利子さんの最高の伴侶で、極めて良質な言論人だった半藤一利さん。ご存命であれば、高橋某や素知らぬ顔の大会組織委員会をどんな言葉で叱責されただろうか・・。聞いてみたい。