ノーベル賞受賞者本庶佑さんの言葉に感動

西村 幸子(UAゼンセン友の会新潟県支部副支部長) 

 26年前、桜の花が満開の時期に、私は母を亡くしました。大腸がんでした。

 1992年7月、県立がんセンターの母の主治医からがんの宣告を受けた時、私の頭の中は真っ白になり、体中の血の気が引いていく思いでした。先生のお話で、母は長く生きられないことを知りました。私や弟、妹たちは母に一日でも長く生きてほしい、と最後まで母やまわりの人たちに知らせず、命が消えるその日まで病気と闘い続けました。勘の良い母のこと、死が近いことを知っていたのでしょうか、息を引き取る少し前に、別れを告げに来て下さった方々に、かすかな声で「ありがとう」と言いました。その一言を今も忘れることができません。

 母が亡くなってから3カ月後に、主治医の先生からお手紙をいただきました。

 「故人の新盆にあたり、病に最後まで立ち向かわれたお姿を思いおこしております。いかに医学が進もうと、まだまだ救えない患者さんがたくさんおられ、そのたびに無念さを痛感しております。微力ではありますが、ひとりでも多くの方のお力になりたいと願っております」。この心温まるお悔やみの手紙で、無愛想な怖い先生のイメージが一変しました。口の悪い母には先生も困られたことと思います。「生きよう」と一生懸命だった母にとって、何よりの先生のお言葉であり、心安らいだことだろうと思います。

 2018年10月1日、ノーベル医学生理学賞に選ばれた本庶佑さん。医学を志したのは「多くの人の役に立ちたかったから」とお話されていました。

 同級生をがんで亡くし、「多くのがん患者を救いたい」と研究を続けられ、免疫の働きを使い、がん細胞を攻撃する画期的な治療薬の開発につながりました。

 がん治療には、手術、放射線療法、化学療法があり、免疫療法が新たな治療法として認められ、製薬会社とのいろいろな困難を乗り越え、2014年新薬「オプジーボ」が発売されました。「あなたのおかげで元気になりました」と言われると、「研究の意味があったと思い、何よりうれしい」と語られました。

 現在、がんセンターの先生をはじめ、多くの先生方が「オプジーボ」を使ってがん治療にあたり、多くの患者さんの命が救われていると思います。

 厚生労働省は、2016年に新たにがんと診断された患者数は延べ99万人を超えたと発表しました。部位別では大腸がんがトップでした。

 物が食べられなく、体の痛みに苦しみながら「生きたい」と願った母の無念さを思い出します。その後の医学の進歩は目覚ましく、医療を取り巻く状況も変わりました。

 受賞を祝う晩さん会で「地球上の全ての人々に薬が行き渡り、健康な生活という恩恵を受けられるようになってほしい」との本庶先生のお言葉に心から感動しました。