魚沼地域退職者連合 会長

長田 良治

 「どっこい甚句」への投稿依頼を受けた。内容はフリーとのことだが、なるべくコラム欄を設けた趣旨に沿いたいこと、また一風変わったコラムタイトルに興味を抱き、先ず「どっこい甚句」語について調べてみた。 
 
 「どっこい」は「ドッコイ」と理解し、意味を調べると ①力を入れて何かをするときのかけ声 ②相手の意図をさえぎり止めるときに発する語 ③民謡などの囃子ことばとあった。本欄は①或いは③の意味より②の意味合が強いと解釈した。県内のどこかに実在の甚句があるかどうかは不明。「どっこい我々退職者世代の存在を無視してもらっちゃー困るぜ」と、世間に向けて啖呵を切るように退職者世代としての存在感をアピールする意味を含んでいると推測。
 
 ついでながら連続して「ドッコイドッコイ」となると別の意味になり、勢いが互いに同じで優劣がないさまの意味になるらしい。「甚句」(甚九又は神供とも)の語については7・7・7・5句形式の民謡の一つとされる。この7・7・7・5句形式の原則に沿って原稿を書きまとめることは技術的にも能力的に不可能であり無視することに。語感が似て相撲世界にある「ドスコイ」もついでに調べてみる。予想したとおりやはり語源的には同じらしい。「ドッコイ」が「ドスコイ」に変化したものであった。終戦時の頃から力士に東北・北海道出身者が多かったことから訛ったものとあった。
 
 こういうことを調べるにインターネット検索は誠に便利である。退職者世代といえども文明の利器は大いに活用するべきであり、県退職者連合としてネットで情報発信していくことは大変結構なことで現代の情報社会にマッチしている。
 
 原稿と苦闘している中、他の用件を思い立ちその後、再びパソコンの前に「ドッコイショ」と座り込む。これも同類のかけ声の一種だろう。不思議と立ち上がる際にはこの発声は出てこないが、その際発声が出るとすれば「ヨッコイ(ラ)ショ」または「ヨイショ」かな?
高齢になったせいか何か動作を始める前に知らず知らずに掛け声を発している今日この頃である。
 
 さて、普段意識することはないが、物事が通常どおりに行えない事態に陥り初めて通常通り進むことの有難さに気づかされる。この2年間、「新型コロナウィルス」蔓延の影響を受け、組織運営への支障を来たしている。人を集めることに気を配り、基本的な意見集約等を図る幹事会の開催すらどこか心理的な自制心がかかるからだ。行動への制約は長引けば長引く程、組織活動の面でボデーブローのように効いてくることを懸念する者である。
 
 本来2020年にあるはずであった夏季東京オリンピックは、1年間延期され今夏「コロナ禍」の最中に開催された。無観客試合など異例な対応を重ねる中で何とか閉会する迄に至った。
 
 思い起こせば「お・も・て・な・し」のフレーズが記憶に鮮明な8年前の開催都市誘致決定から、このたび祭典閉幕を迎えるまでの間、様々な紆余曲折があった。運営側の批判されるべき不祥事が断続的に起きた。開催国として大丈夫なのか疑念が湧く一方、世界中の新型コロナウィルス蔓延という予想外の悪条件が加わった。ともあれ日本選手団はメダル獲得数が史上最多であった。メダリスト達はたゆまぬ練習の果実として栄誉に浴されたが素直に「おめでとう」と讃えたい。同様にメダルに手が届かなかった他のアスリート達にも、これまでの過酷な練習、努力の積み重ねに対し敬意と賞賛を送りたい。
 
 今の状況下での五輪開催に対して賛否両論があった。自分は積極的な賛成意識はなかったが、反対する気持はなかった。日本での五輪開催は生涯で最後の機会と思い、競技会場に足を運んで目の当たりにしたいと内心考えていたが無観客対応となり、それは叶わなかった。
 
 前回は、五輪を契機として日本経済は高度成長期への軌道に乗り、先進国の仲間入りを果たしたことから五輪がその起爆剤となり得たが、今回はどうだろうか。残念ではあるが恐らく「柳の下の2匹目の泥鰌」は狙えないだろう。今回の五輪に至るまでの過程において日本社会の抱える負の面が顕在化した。(幹部役員の女性蔑視発言、不祥事の発覚等)こうした負の面自体を課題として認識し、発生の根源のところまで掘り下げ解消・克服していくことが今後日本社会に求められていると思う。