『暮しの手帖』に手が伸びて

木村 昭雄

 図書館書棚の『暮しの手帖』に、読書欲をそそられる内容ではなかったが、無意識に手が伸びていたのは、「借金頼み」の過去最大額の新年度予算案のことが潜在的にあったのかもしれない。

 『暮しの手帖』の読者層がどのようなものか、創設者・花森安治が発刊にこめた思いを知っているかどうかもわたしは知らないが、わたしにとっての『暮らしの手帖』は、「ぼくらの暮しと企業の利益がぶつかったら企業を倒すしかない ぼくらの暮しと政府の考え方とぶつかったら政府を倒すしかない」 (『一銭5厘の旗』)に凝縮される花森安治が「戦争に加担した」ことへの痛切な反省の結晶物と言う以外には言いようのないものである。

 そして、条件反射的にわたしの頭に浮かぶのは、作家・井上光晴の詩『味噌汁』での「喉にしみこむような 味噌汁を食べたい 朝も、昼も、晩も、梅干しとゴマ塩 昨日も梅干しとゴマ塩 明日の菜も あてはない」の〈イマ〉の暮しの一節である。

 暮しを破壊する最大なものは戦争だが、安倍政治が際限なしに垂れ流す汚毒に呻吟するたびに、頭の中に浮かんでるのは「眼底手高」で生きた花森安治の姿勢である。