新潟県退職者連合 幹事 今井一夫
先日、ろうきんシニアクラブと共催したセミナーで、日本語はとても難しい!日本語を操っている日本人はたいした人種だという話があった。確かに日本語は難しく、同じ読み方でも「橋」と「端」では意味が違う。私たちは、同じ読み方でもアクセントを替えて対応している。外国人からみると日本語の会話はとても難しいといわれることがわかる。
私たちは、子どものころから日本語をしゃべり、日本語で日常生活をやってきている。地域によっても話し方やアクセントの違いで、意味不明の言葉に接する機会もある。話しをすることは、人と人とのつながりを深め、仲良くなる手段の一つだ。多少の意味不明も、なあなあで容易に解決ができる。
話すことが困難になる時期がやってくる。自分の言いたい事が相手にうまく伝わらない。自分の要望が相手にうまく伝わらない。どうして私の言うことがわからないのかイライラする。こんなことがあたりまえの時期が来る。
そのとき、私はどういう対応ができるのか。今から準備しなければと思っている。
議員の通信簿
子どものころは通信簿をもらうのが、憂鬱だった。親に見せるのは、自分で見る以上に気が重たかった。いやな時間だった。原因は自分にあるのだが・・・
選挙も時の政権の通信簿に例えられる。中でも参議院選挙はその性格が強いといわれる。昨年行われた衆議院選挙と異なり、政権交代が直接結びつくわけではない。今の政権の中間評価の色合いが濃いものである。
安倍・菅・岸田と続いた政治とカネの問題をはじめ、新自由主義路線の成果が私たち個人個人に問われてくる選挙だ。私たちは、新聞などを通して能動的に政治の現状に目配りし、この3年(参議院選挙から参議院選挙まで)の政権を採点し、1票を投じることが重要だ。よい点を与えて政権の背を押すのか。辛口の評価でブレーキをかけるのか。投票結果は今後の政権の姿勢を左右する。
6年前に誕生した野党連合の結果、森参議院議員が誕生した。続く選挙も、うち越参議院議員を誕生させた。
今年は、森参議院議員の再選だ。
きっちりと私たちの通信簿を渡すことが大切だ。
内橋さんの思いで
経済評論家の「内橋克人」さんが亡くなった。一人ひとりの思いを大事にしたジャーナリストだった。彼は、「官」を排し、「野」に生きた。「民」に生きたといってもいい。内橋さんは、食料、エネルギー、人間関係(広い意味でのケア=介護)について、地域内に自給自足圏を形成していくことが真の国民的自立を果たす道だと強調してきた。フーズ(F)エナジー(E)人間を慈しむケア(C)すなわち「FEC自給圏の形成」を呼びかけてきた。もちろん、Eは脱原発・再生エネルギーのEである。
内橋さんは、NHK朝のラジオで時々解説をしていた。私は、彼の解説を聞くたびにメモし、周りの人たちに伝えてきた。
内橋さんは、農業への思いも大きかった。食料自給率が4割を切っている異常な日本の状態を憂い、農業への再生を期待していた。その思いの実現に協力できたらなんともすばらしいと思う。
小さな自治
戦争は繰り返さない!過ちや悲劇を繰り返さない。その誓いを将来にわたり揺るぎないものとするには、夢を絶たれ、日常を奪われた一人ひとりの無念に寄り添い続けなければいけない。新年を迎え、平和に感謝し二度と戦争を起こさない世界を目指し、できる範囲で無理せずに今年もやろう!と改めて思った。
芥川賞作家玄侑宗久さんの「無常という力」の中で、「小さな自治」の必要性を説いている。玄侑さんは、福島県三春町で住職をしている。地元は東日本大震災と福島原発事故で大きな不安にさらされた。その体験から「小さな自治」に至ったという。何年か前に私は、三春町のしだれ桜を見てきた。片田舎の中でひっそりと、堂々と咲く様が想像できた。(行った当時桜は咲いていなかった)
巨大システムに寄りかかるのではなく、身近に暮らす人々の顔が見えるコミュニティを大切にしていこうという考え方が『小さな自治』だ。
戦争も原発事故も、国策という巨大なシステムが大勢の一人ひとりを翻弄した。国の針路を決める政策や法律を、自身や地域の暮らしを守るという視点で点検できていたなら、道を誤らずに済んだかもしれない。「小さな自治」からは、そんな心情が伝わってくる。
幸い、県内にはお隣の顔が見える地域社会がきっちりと根を張っている。一人ひとりが地に足をつけてこれから考えるための豊かな土壌である。テーマには事欠かない。
迫り来る憲法改正、原発再稼動、社会保障の減退など。