新潟県退職者連合 幹事
河内 浩一
毎年紅葉の季節にかつての郵便局の先輩方と安否確認の名目で、新潟県、長野県の温泉地を交互に行き来しており、その近傍に名所旧跡があれば社会学習を行っている。
今般は昨年10月上旬、6名で長野市松代町へ。武田信玄の隠し湯ともいわれ、茶褐色のにごり湯が特徴である信州松代温泉「黄金の湯 松代荘」での交流懇親の前に「第二次世界大戦の遺跡・松代大本営地下壕(舞鶴山・皆神山・象山)」へ訪れた。

【地下壕内】
それは、三山を碁盤の目のように掘り抜き、総距離は約100,000m余りに及ぶが、現在見学ができるのは「松代象山(ぞうざん)地下壕」の5853mの内の約500m。入坑して岩盤に触れてみたが、鍾乳洞とは違い湿り気はなく乾燥していた。削岩機で掘り進んだということであるが、その粉塵たるや想像を絶する。岩に突き刺さった削岩用ロッドもそのまま生々しく残っており、当時の状態を垣間見ることができた。
そもそも、誰が、何故、何のために、この地に地下軍事施設群を造ろうとしたのか。象山地下壕から出た後、隣接されている「もうひとつの歴史館・松代」に行って、語り部の方から説明を聞いた。

【削岩機ロッド】
これはアジア太平洋戦争末期の1944年11月11日午前11時着工から1945年8月15日(終戦の日)までの突貫工事で全行程の約8割が建設された要害である。
その目的は、敗戦濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行い、連合軍に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などの和平条件を得ようとしたもので、この決戦の指揮のため大本営・政府中枢及び天皇御座所を移転する予定としていた。
信州松代の地が選ばれた理由は、◆信州は「神州」に通じ、皆神山という名も良い ◆長野電鉄、信越線の鉄路があり物資を輸送できる ◆農村地帯であり都市に比べれば豊富な労働力が残っている ◆本州の陸地の最も幅の広いところにあるため、太平洋側・日本海側どちらの海からも攻撃を受けにくく、近くに大豆島村飛行場がある ◆山の形容も低空爆撃を受けにくい地形である ◆松代の岩盤は硬く、米軍の10トン爆弾の爆撃にも耐えられる ◆真田氏の城下町で土地・風土に品格があり、伝統的な土地柄故に秘密情報も漏れにくいなどの理由によるもの。
およそ9箇月の間に当時の金額で約2億円(現在額では400億円程度)といわれる巨費と延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として動員された。1日に換算すると人員11,000人余りとなり、2交代ないしは3交代で掘り進む距離は1日僅か約370m(100,000m/270日)で気が遠くなるような、先の見えない劣悪の環境下での労働であった。
その中でも、地域の労務報国隊や勤労報国隊、学徒・児童まで動員されたが、その主力として最も危険な労働に従事させられたのは、その数6,000人ともいわれる朝鮮人労働者であった。朝鮮人は以前から日本の建設会社などで働いていた人たちと新たに朝鮮半島から日本に、官憲などによって強制的に連行された人たちであったといわれている。
また、極秘裏に進められた工事だったため、いつ、誰が、どのように亡くなったのか。文書としては戦後の「1946年厚生省調査報告書」に西松組4名死亡とあるのみで、推定の域を出ないが、「松代大本営追悼碑を守る会」では証言などから、朝鮮人の犠牲者は100~300人程度と推定している。
働いていた朝鮮人労働者からは、飯場では生活や労務管理には雲泥の差があった様子をうかがわせる証言が紹介されているが、象山地下壕で削岩作業にあたった労働者の次の証言が劣悪な実態を如実に物語っていると思う。
「食べ物は配給が少なくコーリャン7合に米3合、大豆粒の入った飯に塩汁という食事で、栄養失調で亡くなる人も多かった。現場には監視や用心棒が来て、怪我をしても『こんなことで休んで戦争ができるか!』と脅された。(脱走すると)隠し小屋に閉じ込め、飯を与えない、殴る蹴る、果ては座らせて膝の間にでっかい鉄棒を入れて両側へ人が乗る。骨が折れる音がする。」
ここで働いていた人たちにとっては、戦争が終わった1945年8月15日は、こんなにも過酷で非人道的な労働から、ついに解放されるという安堵の気持ちで一杯であっただろう。私にとって、戦後80年の節目に「松代大本営地下壕」を訪れる機会を得たことは、大変意義があり、改めて平和の尊さや有難さをかみしめた。
最後に頂いたパンフレットの裏表紙に掲載されている「松代大本営追悼碑を守る会」からのごあいさつを記す。
| 歴史の真実を掘り起し後世に伝えるために
「松代大本営追悼碑を守る会」 会 長 表 秀孝 松代大本営追悼碑を守る会は、戦後50年の1995年8月に「松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」(追悼碑)を建立しました。追悼碑は、日本の侵略戦争、朝鮮半島植民地支配の加害の歴史を忘却せず継承するためのモニュメントです。また、未解決な部分が多い松代大本営工事の真相を掘り起こして、歴史の真実を後世に伝えるために活動しています。 戦後80年を数年後に控える今日も、私たち日本人の歴史認識がアジア諸国でたびたび問題となります。これは日本政府や私たち日本人が、過去百数十年の近・現代史について十分な国民的な議論を積み上げてこなかったことが原因だろうと思います。また、日本政府が過去の侵略・加害の歴史の真相を十分に検証し、謝罪すべきは謝罪し、戦後補償を誠実に実行していれば、アジア諸国との間に歴史認識をめぐってのあつれきは生まれなかったでしょう。 このパンフレットを読んでいただくことで、松代大本営工事における朝鮮人強制連行・強制労働の歴史を改めて考えるきっかけとなれば幸いです。 2025年1月(3版4刷)発行 |

【地下壕入口と不戦の誓いの碑】

【朝鮮人犠牲者を追悼する祈念碑】









