村まつり
八幡 輝男(三菱ガス化学労組高齢者協議会)
夏になると、催し物の内容と多彩な町を挙げての祭りが、新聞紙面を飾る。しかし、地域の各集落にも、昔からの祭り行事が守り伝えられている。
「村の鎮守の神様の、今日は目度いお祭り日・・・」
村まつりの唱歌が懐かしくよみ返ってくる。私が生まれた所は隣村との境界に近い、当時戸数十数戸の小さな集落だ。それでも集落の中心には、稲荷神社があって、春と秋には祭礼が行なわれた。
集落の祭りは曜日は関係なく、春も秋も日が決まっている。宵宮の早朝は、各家々から人が出て、普段は閉まっている神社の戸を開け、掃除やちょうちん・〆縄の飾りつけ、紅白の幕や昇り旗を立てたりと忙しい。
昇り旗の黒々とした筆文字がはためくのを見ると、何となく心が弾んだ。学校から帰ると、夕暮れが近づくまでの間に、神社まで、何回も夜店の準備を伺いに出かけたものだ。
小さな集落の祭礼でも、何軒かの夜店が参道の両側に品物を並べた。おもちゃ・氷水・風船・綿あめなど、どの店も毎年同じ顔ぶれだった。祭礼は集落ごとに、日をずらして移動した。
お祭りの当日は、どの家も、お祝いの赤飯を炊いて、近隣の親戚宅へ届けた。「赤飯配り」を口実に、学校を早退することもあったと聞く。祭りにあわせて、父や母の兄弟姉妹が帰省することもあり、一緒に連れて来た子供たちと遊ぶのも楽しみだった。
一抱えもある松が茂り、子供達の格好の遊び場でもあった境内も、今はマツクイ虫の被害で、松の木は切り払われ、社殿と鳥居と石垣だけで殺風景な景色になってしまった。
集落の戸数は増えたが、少子化と高齢化は進み、祭礼の維持も大変だろうと案じているが、いつかは否応なしに変わって行くのだろう、