新潟県退職者連合 幹事
(新潟県高等学校退職者の会 会長)
木村 昭雄
中国武漢市の衛生当局がウイルス性肺炎患者の存在を発表したのは2019年12月31日で、瞬く間に全世界に拡大し、猛威をふるい人々を震撼させることになった。日本で最初の感染者が確認されたのは、それから2週間余の2020年1月16日であった。
アベ首相が新型コロナウイルス災禍を「国難」とし、その拡大、収束、終息を企図して「緊急事態宣言」が7都府県を対象に「発出」されたのは「令和2年4月7日」で、16日には全国に拡大された。新元号が「令和」と決定されたのは2019年5月1日であったから、実質的な時間の流れでいえば、改元元年に「国難」に襲われたことになる。
現憲法下で上皇と天皇が併存するという異例の「象徴天皇制」下の状況の中で、日本列島は新型コロナウイルス災禍の激波に襲われ、師走に入ると感染者数、重傷者数、死亡者数は連日のように最高記録を更新し、政府の自治体への丸投げ的な策により日本列島は「不沈空母」ならぬ「日本沈没」の様相を呈し、いのちと暮らしに関わる全領域で多種多様の社会病理を自噴させることになった。
ことあるごとに「責任は私に」、「国民の命と暮らしを守る」と公言してきたアベ首相の政治路線を、「密談談合」で継承し、後継者となったのは、「国民のために働く内閣」を看板に掲げた「苦学の人」スガ首相であったが、スガ首相が打ち出した抑止策をすんなりと理解できず、不安、不信が漸増したのは、わたしの高齢による理解力、思考力の劣化によるものであったのだろうか。
「不要不急の外出自粛」、「3密」(ともに意味不明)回避と「GOTO トラベル」、「GOTOイート」策は整合性を持たないと理解したが、感染拡大との因果関係を示す「証拠はない」として強権的ともいえるくらいに固執する政治姿勢に、わたしは東日本大震災時の津波による壊滅的な惨状、福島原発核災事故から何を学び、教訓として学び、危機管理体制をどう構築してきたのか、の疑問が消えず、募るのみであった。
つまるところ、高度経済成長政策による「一極集中」弊害の極みともいえる「東京」にコロナ災禍の最大数を見るように、「あくなき経済成長」信仰に加え、「国威発揚」、「国の誇り」をかけての東京オリンピックの開催が、「国民の命と暮らしを守る」ことよりも優先させるという政治構造が、コロナ災禍に対する一連の拡大阻止策のみならず、戦後政治の底意に連綿として流れてきている、としかわたしには理解できなかった。
「原発安全神話」の崩壊を実証した「3・11」以後わたしはどう変わったか、と自省しながら難渋した拙文の掲載にためらいがある。(2020・12・21)