―― 麦の唄オモイコミ又はコジツケてみた試論 ――
詠人不知・・・(はやしさん)
興奮しすぎて前置きがあまりにも長くなりすぎたことはご容赦いただき早速本題に入ろう、ここで流された「麦の唄」について若干の考察を試みよう。一般的に曲はメロディ、リズム、和音、歌詞で構成されるが、ここでの視点は三つ、第一はメロディ、第二は歌詞、第三は歌唱方法についてである。語り始めるとページが限りなく続き、しかも歌詞、楽譜も要するので、要点のみを記載し問題提起にかえたい。
まず、第一のメロディだ。麦の唄に限らずみゆき様は「転調」を多用する傾向がある。この曲はそもそも実に難しくカラオケでも完全に歌い上げるのは難しい(上手下手は別)。曲の全体的調は「変ロ長調(♭2個、基本の音シ♭)」なのだが、途中「ロ長調(♯5個、基本の音シ)」へ変わりまた「変ロ長調」と次々と転調していく。古来より曲は基本となる調があり途中で音に♯や♭を用いて変化させ最後は基本となる調と音に戻るのが一般的なのだが、この曲もその基本と変わらないが途中で全体の「音を一つ上げたり下げたり」歌い上げなければならい。しかもこの曲はここで終わらないのがみゆき様の真髄だ。後半7章目「泥に伏せる・・・」に入ると調はロ長調なのだが、全く違うメロディにするのだ。こここそが麦の唄を難しくしている所以なのだ。(ここをしっかり歌えればカラオケは完璧なのだ)。最終8章は「変ロ長調」で終わる。カラオケで唄うほとんどの方は1~6章を歌いほっとするが7章にくると何となくやり過ごし最終8章の変ロ長調で締めていくのだろう。譜面通りに歌う挑戦をお願いしたいところだ。ちなみにNHKで「プロジェクトX」を再開しているが、テーマ曲「地上の星」は前回曲より全体を1音上げた楽譜になっている。新しい曲にしたいという思いよりステップアップをさせたいとの思いなのかどうか不明だ。
次は第二の歌詞だ。みゆき様の歌詞には時折、「相対象」を用いることがある。テレビドラマで使用された曲で比較してみよう。「西と東へ」「闘う者と闘わない者」「天のものと地にあるもの」「頑固さと改革」(空と君のあいだに、世情、地上の星等)などだ。これらの曲は相対象となる「もの」を「互いに干渉させない」あるいは「相互を関連させない」特徴がある。つまり「一方の側から見て相対物はどう見えるか」ということをあえて書くのだ。「西に行く人、東へ行く人」「デモをする人、見物してる人」という風にそれぞれを規定し、「BからみてAはこうみえる」でとどめておき結論等を読み手にゆだねる。Aから見てBは「こう」見えるのにBが気づかない「もどかしさ」「せつなさ」を指摘するのだ。それぞれの矛盾するものを弁証法的に止揚させていく、あるいは葛藤や喜びなどを絡めあう一般的な手法を取らないのだ。ところが「麦の唄」では「地(麦)」が「天((風や空や風))にこたえを求め相互を連関させる一般的な手法を用いるのだ。同じNHKからのオーダーで作った「地上の星」と「麦の唄」は対極にあると感じるのは私だけか。ちなみに私の最も素晴らしいと思う詞は「わかれうた」と「ファイト」だ。若い頃の詞だが、わかれの孤独と喪失を換喩表現したり、人の欲望と社会が対立する不条理を表現したものでとにかく凄い詞だ。
最後に第三の歌唱方法だ。「麦の唄」そもそも強く歌うのだが、みゆき様はアウフタクトの部分をあえて強く歌っている。アウフタクトは本来楽譜の小節の終わりを弱くし次の拍を強く打ち出すために使われるのだが、みゆき様はこの曲ではアウフタクトをあえて強くしているのだ。カラオケで歌う場合、このアウフタクト、例えば「そのすべてを・・」「むぎにつばさは・・」を強く意識すると曲が生きてくる(主観)。みゆき様の「凄さ」はこれだけではない、みゆき様は、曲によって、語りかけるように、曲によっては威風堂々とあるいは投げやり的に、あるいは街頭でのアジ演説のように、あるいは逃げ惑い慄くように、場合によっては一つの曲でも多様な感情(怒り、喜び、あおり、嘆き等々)をそれぞれ駆使し歌い上げていく。まさに天性の業だ。コンサートようで演劇のようでもある劇場での「夜会」は、作曲作詞はもちろんのこと脚本やシナリオなどすべて自身が手掛け、自身が演じ歌うのだ。人の苦しみや喜び、葛藤や嫉妬などをテーマに30年も舞台を続けている。こうしたことが幅広い歌唱方法を使い分けているとも思われる。
うひゃー、あのNHK様の番組に触発され、ついつい投稿してしまったのでございまする。許してござれ。書きたいこと言いたいことがあまりにもあまりにもありすぎるのでございまするが、「ミユキストよ!続け!」ということで紙面の関係上ここらで失礼をしなければならないのでありまする。さよーならー。(みゆき様のⅮj風に)







