新潟県退職者連合 幹事

(新潟県高等学校退職者の会)

木村 昭雄

 10月11日、日本退職教職員協議会(日退教)の組織活動交流集会が開催され、組織の現状報告があったが、予測通りの厳しい現状に退路を断つ策の乏しさにしばし天を仰ぐ想いに駆られた。

 1932年からの65歳定年制の移行措置として、2023年末退職者から61歳定年となったことの影響は予測を超えて大きく、日退教に加盟する各単会の取り組みによって多少の差はあるが、多くの単会では新会員の加入は前年を大きく下回ることになった。

 そのような厳しい状況下の中で、2017年8月27日付『新潟日報』の「窓」欄に掲載された「会費に込めた反戦の思い」と題する投稿が浮かんできた。投稿者は新潟県退女教(75歳)の会員で、投稿の概要は以下のようであった。

 『体調不良が続き、週1回の通院のために正座もままならない、・・・退職後にはじめたデイーサービスのボランテイアも辞退したときに、年会費納入の通知が届き、続けるべきか、辞めるべきか迷ったが、8月の一連の大戦に関する新聞記事、テレビ報道を見るにつけ、「教え子(今は孫も)を再び戦場に送らない」のスローガンが頭にもたげ「よし、会員は続けよう」と近くの局から年会費を納入した・・「教え子を再び・・」の意志は死ぬまで持ち続けようと思う』

 投稿が日教組、日退教結集する県内の組合員、退職者の会員の目にとまったかどうかは知らないが、投稿者のような思いを持っている会員がいることに心強さを持った。

 時間が流れ、人口の80%が戦後生まれという状況下、わたしは「不滅の」という形容詞をつけて口にされ、掲げられてきた「教え子を再び戦場に送らない」の風化を危惧し、10月12日に開催された新高教第49次県教研の全大会で、『戦場に「送った」ことと「送るな」―再考「教え子を再び戦場に送らない』の題で話をした。

 「アメリカが広島、長崎に原爆を投下した」史実を知らない大学生がいるような状況が現出しないことを切願してのことであったが、「不滅の」ということばの漂白が気になるのは、歯止めがかからない老化に起因してのことなのだろうか。

(2024・11・1)