新潟県退職者連合 幹事
(IKI・IKIライフクラブ新潟県支部)
今井 勇

 昨年10月に中央アジアのキルギス共和国を旅行してきました。友人のK君がJICAの海外協力隊員として昨年秋から2年間の任期でキルギスに赴任していて、その彼を訪ねて(あてにして)行ってきました。現在キルギスで活躍している協力隊員は38名いらっしゃるそうです。

 出発前「キルギスに行く」と言うと、「どこにあるが?」「何しにゆくが?」と、ほぼ全員が言いました。帰国後も同じでしたが。それほどなじみの薄い国です。(そう言う自分もほとんど知識ゼロでした。)

 「どこにあるが?」は、ネットで調べてもらえばよいですが、「何しにゆくが?」は、流石にこの歳になって自分探しの旅でもありませんが、こんな機会(K君の赴任期間中)でもなければ、まず行くことのない国に行ってみたいなあという単純な気持ちでした。そして、自分の身体が自由に動くうちに行こうと思い決行しました。

 訪れた都市は、首都の「ビシュケク」と、地方都市の「ナリン」です。どちらも旧ソ連時代に建設された高層アパートが建ち並び、広い通りや公園、アベニューに沿った並木など自然に恵まれた街並みが特徴の美しい都市です。市内の交通手段はタクシーやバスで、料金が日本円換算で数十円と安く、タクシーはスマホのアプリですぐに呼べますし、いわゆる流しのタクシーがたくさん走っていてとても便利です。

 ビシュケク市民の台所「オシュ・バザール」に行くためにバスに乗った時のことです。K君が「キルギスの人は、自分より年上の人に座席を譲る習慣が根付いているんですよ。」と教えてくれました。乗ったバスは結構込み合っていて、私が通路に立っていると近くの座席に座っていた若い女性が私の肩をトントンとたたき、身振り手振りで席を譲ってくれました。たまたま優しい人が近くにいたのかな?と思いましたが、帰りのバスでも同じように譲ってもらいました。「ほんとなんだ!素晴らしい。」感動しました。ナリン市内にあるはちみつ屋さんを訪れた時のことです。初対面の私を見た店主の女性は優しく微笑んで「口角を上げてね。」と言ってくれました(もちろんキルギス語ですが)。私の顔が歩き疲れたせいで曇って見えたのでしょう。なんと優しい接客ではありませんか。

 日本とキルギスは、結構つながりがあります。顔つきが似ている(モンゴロイドという人種がルーツ)、人見知りしやすい、おもてなしが好き、勤勉で真面目、一人より集団での行動を好むなどの性格に共通点があるそうです。かつてソ連の支配を長期間にわたって
受けていたキルギスは、1991年にソ連から独立を果たしました。その際に日本は、人材育成などの様々な事業を通じてキルギスの独立を支援したという過去があり、キルギスの人々は今でもそのことを覚えてくれているそうです。キルギスに古くから伝わる伝説でこんなものがあります。“大昔、とある兄弟がいました。やがて魚が好きな兄は東へと旅立ち日本人の祖となり、肉が好きな弟は西へと進みキルギス族の祖となりました”。おまけの話ですが、キルギス人も日本人と同じく、子供の頃お尻が青くなる“蒙古斑”があるそうです。

 K君はビシュケクにある大学でITを勉強している学生の指導補助をしています。日本に留学してIT技術を学びたいという学生が大勢いるそうです。また他の協力隊員は、介護福祉の指導をしていて、既に多くの若者が日本、そして新潟県に働きに来ているそうです。

 少子高齢化や人材の需給アンバランス、地方からの人口流出などにより、深刻な人手不足に直面している日本。いっぽう、平均年齢が27歳のキルギス(日本は約49歳)の問題点は、社会不安定や貧困が若者に様々な影響を及ぼしていて、特に10代の若者は職を手にすることができない状況の中、将来の希望を見いだせないでいます。これからは両国が手を取り合ってこれまで以上の交流して行けば、お互いが幸せになれると思います。

 7日間という短い旅行でしたが、いろいろなことを学んで帰国しました。美しい大自然、美味しい食べ物、そして何よりキルギスの人の優しさに感動した旅でした。またいつか訪れたい国、キルギス。ありがとうございました。