新潟県退職者連合 幹事

新潟県高等学校退職者の会

木村 昭雄

 加速化する「デジタル社会」、洪水のようにカタカナ表記の「国語」か「日本語」か、と訝るコトバの洪水のような情報が、受け手がその信憑性を確かめる術も、時間もないことを見計るようにして押し寄せてくる日々の中で、ワタシの目を射る新聞の「見出し」が眼にとまった。『オンラインで学習「混乱」拡散』、「大阪市長を批判校長処分」、「市教委信用失墜行為」(「毎日新聞(東京版)」2021年8月21日)。この見出しの前史を探ってみたら、「朝日新聞(大阪版)」(5月21日)で次のように報じられていた。

 松井大阪市長はコロナ災禍防止拡大防止策としての「学校休校」の一策として「自宅オンライン学習が基本」の方針を表明(4月19日)、これを受けて市教委は具体的な運用方法を策定、学校に通知し(4月21日)、緊急事態宣言が始まる4月25日から「自宅オンライン学習が基本」の学習が学校で取りくまれることになったが、学習に不可欠な「パソコン1人1台」のタブレット端末配布や学校内の通信環境整備は自治体の厳しい財政状況もあって格差は大きく、「1人1台」は遠く(文科省調査によれば、全国平均は5.4人に1台で、青森県内の自治体間では1人1台の学校、8.4人に1台の学校と格差があり、家庭での利用時の通信費は家庭負担であるから、ここにも格差が生まれ、やがてデジタル教科書の導入を考えると、経済格差が教育格差に連動することは避けられない)、また、学校現場でのコロナ感染症対策も付加され、教職職員の超過勤務は昨年度大幅増加、「働く意欲さえ失いつつある」という「異常」が「アタリマエ」の日常が常態化するゆゆしき状況が全国的に生まれている。

 5月17日、大阪市立木川南小学校長久保敬は、5月7日に表題「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」の「大阪市教育行政への提言」を松井大阪市長に郵送した。

 それ以前の5月中旬までに、大阪市「市民の声」窓口に実名・肩書きを付してメールで3回意見を伝えていたが、方針に変更がなかったので、「思ったことを黙ったままでいいのかな」と、苦渋,煩悶する心情を吐露することに逡巡しながら「提言書」(A4 ,2枚なので、以下に要旨のみを記す)の郵送を決断した。

 『子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考えるときである・・・学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒される。そして、教職員は、子供たちの成長にかかわる教育の本質に根差した働きができず、喜びのなない何のためにかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらに、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う1人1台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場は今後の進展に危惧していた。その結果、学校現場では混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全、安心も学ぶ権利もどちらも保証されない状況が作り出されていることに、胸がかきむしられる思いである。・・・これほどまでに、子どもたちの生き辛くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。・・・オンライン学習などIT機器を使った教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ結局は子供たちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか』

 この「提言書」に対して松井大阪市長は、「校長だけども、現場がわかっていないのかね、社会人として外に出てきたことがあるんかな」、「方向性が合わないなら組織から去るべきである」と問答無用の姿勢で威圧的な(大阪市では橋本徹市長下の2012年に、学校教育での競争主義を加速するために行政への政治的な関与を強化する「市教育行政基本条例」を制定した)言辞で反応したが、「声を上げにくい中でよく言ってくれた」「これまでも教育現場の声を聞かずに決められてきた」、「私たちは決まった方針に対して何も言えず、従うしかない。諦めていたが、この提わまった(「提言書」の内容を聞いた知人が本人の承諾を得て投稿)ことについて市教委は大阪市職員基本条例第4条(「職務や地位を私的利益のために用いてはならない」)に反するかどうかを判断し、「厳正に対処」した結果、第4条に背反する「信用失墜行為」があったとして5月20日に文書訓告(「処分」)とした。自らの存在を賭け、冷静で客観的な「提言書」を再々読したが、わたしはそこに「信用失墜行為」該当の根拠を見出すことができない。『異例の「批判」』の小見出しがある前掲の「朝日新聞」からすると、校長の職にある者が教育行政をつかさどる市長や教育長に「異議申し立て」=「批判」することがあってはならい、のにその「倫理」を犯したこと=「処分」と強権的、見せしめ的な結論(結果責任不問)に至ったとしか理解できない。なぜ、市長、教育長は「提言書」の内容について誠実にきちんと反論をしなかったのか、できなかったのか、と、市長、教育長の「提言書」に対する共感、反省力のなさを疑う。

 グローバル化に対応の大義で、デジタル法案成立、デジタル庁創設、デジタル田園都市構想・・・と「デジタル信仰」が進行(侵攻)する世情だが、ノンフィクション作家柳田邦男が、小泉純一郎首相に「小中学校からのパソコンの排除」に「一大決断を」内容とする私信を送ったのは06年2月であったが、急激に進行(侵攻)するIT革命による「負の遺産」に、柳田は前年に『壊れる日本人-ケータイ・ネット依存症への告別』、06年に『石に言葉を教える、壊れる日本人の処方箋』、07年に『人の痛みを感じる国家』を出版し、急激なIT革命の進行によって「人の心と脳の破壊」の進行(侵攻)に警鐘を鳴らしてきた。しかし、その警鐘は冷笑、黙殺され、「負の遺産」がいっそう露わに顕在化、進行(侵攻)する世情となった。学校教育はどこへ、との嘆傷は、ひとえにわたしが老残の身ゆえにあることからくることなのか。

(2022・1・19)