佐渡地域退職者連合 事務局長
岡固 正幸
「二宮小学校の昔の話を子どもたちにしてほしい」というので、行って思い出話をしました。
新潟地震のこと。児童の多くは、裸足だったこと。田植え休み、稲刈り休みのこと。宿題がなかったこと。そして、三本の松のこと。
「彼ら(彼女ら?)は、私が入学した時(昭和35年)にはもう大きかった。通学路というか、校舎わきにあって、毎日ここを通りました。三本目が大きく傾いていて取分け記憶に残っています。
明治期からあったと思われ100年以上にわたって二宮小の子どもたちを見守ってくれてたこの三本には 昭和59年に伐採の危機がありました。
当時、校舎が改築され、グランドも改修することになり、一周200mのトラックと100mの直線トラックをつくること。そのためには障害物となるすべてのものは撤去することとなったのです。
たまたまグランド改修工事を担当することになったのが卒業生の私。コース優先に考えれば、彼らは障害物でした。
この松には、ここにいた者たちの100年の歴史が、思い出が、思いがある。そんな気がしてきて、伐ってはならないと思いました。
校舎もグランドも新しくなっていく。卒業生にとって見慣れたものはこの松だけ。その意味でも残したいと思いました。
あの松を残したのは、私です。そのせいで、100mコースは少し窮屈で余裕のないものになってしまいましたが、あの松は、君たちに何かを残してくれると思います。」
翌年、幹の中が腐っていて倒れる危険があるということで、1本伐採されてしまいました。(私に無断で…)