新潟県退職者連合 幹事
(新潟交通グループOB会会長)
神林 俊晄
90歳のお袋は薬を飲まず健康長寿そのものだった。私が退職した年、自宅で転倒し圧迫骨折で通院。お袋の骨折を知ったのは転倒してから10日後、妹にお袋が倒れた時どうして救急車を呼ばないのかと叱った。
それから整形外科への通院介護が始まった。車椅子や自家用車に乗せる度に腰を痛がり毎回の送迎にひと苦労。何回かの診療後、先生に入院先はと尋ねたが無いですねとの返事だった。年明け改めて先生に「どんなに遠くても良いですから入院先はありませんか」とお願いした。すると先生は家から近い新潟逓信病院を紹介して頂いた。お袋の通院介護が無くなり一息ついた。
病院は食事、入浴付きの完全看護でお袋は満足していた。ただ、入院中のリハビリ治療に対しては気力がなく本当に歩くことができるのか心配だった。その後、担当医から月末退院ですと告げられ、転院先が無いと在宅介護になり不安が脳裏をよぎった。
病院のケアマネ(ケアマネジャー)に相談し近くの老人福祉施設を訪問し話は聞いてもらえたがすぐには入所できない。退院日が近づいたある日、新潟市中央区の老健(介護老人保健施設)から連絡がありレントゲン写真を添付し申し込み入所できた。
これで安心かと思ったら3か月後ケアマネにこの施設は短期介護施設ですから別の施設を探してくださいと言われた。その時新潟市中央区に特養(特別養護老人ホーム)の施設が開所する情報を得、入所理由をびっしり書き申込み何とか入所できた。
特養に入所できた理由は①新潟市中央区に特養施設が開所する情報を得て、いち早く入所申請書を提出した②中央区に在住し独居老人で要介護者の認定を受けていた③運が良かった等が考えられる。それから3年、お袋は食べる力がなくなり満93歳老衰で亡くなり帰らぬ人となった。
介護保険料を払い始めて21年、初めは誰が使うのかと疑問が残ったが、今にして思えばお袋や叔母さんの介護を経験して制度の有難さを感じた。
私は後期高齢者を迎えた。これからもお袋を目標に健康寿命を保つため仲間と好きなゴルフや野菜作りを楽しみ快眠、快食に努め快適な生活を心掛けている。