「主権者教育」は何をめざすのか

木村 昭雄

 選挙権18歳引下げにより、「主権者教育」重要論が浮上し、総務省・文部科学省『私たちが拓く 日本の将来一有権者として求められる力を身につけるため』の教材が刊行され、学校現場で取り組まれてきた。

 その教材を一読する機会に恵まれたが、『「主権者教育」は何をめざすのか』の疑問が残り火のようしてある。

 疑問の因は、①「私たちが生きる21世紀の日本は、世界に類を見ない平和で民主的な社会を築き上げた」と ②「小数意見が正しいものであれば、できるだけ吸収するものでなければなりません」の記述にある。その記述に、私のメとアタマは「誤植ではないか?」の反応を示した。

 いま一つは、③自民党の憲法改正草案に見る「公共の福祉・秩序に反しない限りの人権行使」の考えを敷衍する記述である。

 はじめての選挙権行使となった参議院選を振りかえって、『新潟日報』は「高校での主権者教育の後押し」があって「一定の成果があった」としているが、わたしには疑問だ。

 「主権者教育」がめざしているのは、考えない、疑問を持たない、言わないの「三ない」を身につけた「主権者」の育成ではないかと、私は危惧しているが、わたしだけのことなのだろうか。