先日、様々な職場の退職者の人達が集まる集会があり、そこで耳にした教員の退職者の方の話を報告します。木村幹事の「どっこい甚句」と重なる記事になりますが思いは一緒?
 参考にしてください。

 その話の趣旨は、多くの教員退職者の置かれている現状として・・・教員は現職の時は、様々な教育上の問題に責任感ばかりが押しつけられ、生徒の学力、部活動の勝敗の結果や高校の進学実績などで、教員の仲間同士が競争させられながら教員生活を送ってきた。

 そしてそのことで、疲労困憊し、退職してからはもう人と接したくない、もう解放されたい、という気持ちになり、退職者会には入らないという気持ちになっている、というような内容の話でした。教員同士は競争させられ続ける中で、組合運動が弱体化するようなことも起きた、というようなことも話していたように思います。

 私はこの話を聞いて、学校職場ばかりの問題ではないし、どこの職場の話でもあるなと感じました。今、組織拡大が大きな課題となっていますが、この話は、組織拡大のヒントになるのかなと思い、この話をしていた方に、原稿をいただき、「新潟県退職者連合のホームページ」に掲載することを了解していただきました。できたら現役の組合役員の方々からも読んでほしいと思いますが・・・・・皆さん、じっくり読んでいただき何かヒントをつかんでください。

新潟県退職者連合 事務局長 齋藤由宣


組合(シニアの会)に入りたくない教員の退職者達
1、はじめに

教育現場は、この30年間で大きく様変わりをした。この間経験したことをあげてみると・・・

(1)「生徒の進学校を偏差値でふりわけるな!」「点数だけで生徒の進学校を決めさせるな」「点数だけじゃなく人間性も評価させる神学指導が必要じゃないか?」と恫喝されて・・・
 現場は、先生に勉強させ、業者テストを受けさせるが、他の学校と比べられない状況が起き、それが続くと、今度はこっそりと受験業者に他校の点数を聞きながら、受験する学校を選ばせるようになった。いずれにしても偏差値で生徒の学力を把握できなくなったことで、受験指導は難しくなった。教師がリードするのではなく、生徒や保護者主体に持って行くように!巧くいかなかったとしても、保護者責任となるようにレールが引かれたのではないか、と思う。

 推薦入学制度が導入されると、それは瞬く間に拡大した。そして、それははじめのうちは学校が生徒を推薦していたが、推薦入学生の割合が増加するにつれて、推薦する生徒としない生徒が出てくるようになり、学校は生徒の推薦が出来なくなった。

 そして、今後は、生徒自身による「自己推薦制度」という制度になった。要するに言ったモン勝ちになった。試験を受けなくても一定の通信簿の点数があれば自己推薦で受験し合格することも可能となった。高校側からは、生徒数の減少という状況の中で、生き残りをかけているのでそれもありと言えた。

 自己推薦の制度は特色化選抜といい、部活などで優秀な成績を収めた生徒はそれを売りにして、つまり、受験の時、それは合否の成果に作用するようになった。それは部活動を更に過熱化させた。

 一学期の終わりの中学の懇親会は、部活動の成果発表会と化した。いつも地区の予選大会を勝ち抜き、県大会に生徒を引率できない顧問の教師は肩身の狭い思いをしていた。
スポーツの得意な生徒の保護者から、そのスポーツには素人であったり、余り熱意のない部活の顧問には非難の目が注がれることも起きた。
「今度の顧問の先生、サッカーのシロートでよくわかんないって言うじゃない。うちの子去年まで大会でポイントあげていてチームは勝っていたのに・・・部活でA高校に行こうと思っていたのに、困っちゃう』という親がいたのである。

 しかし、部活動で良い成績を上げることができれば、学力が伴わないのに、優秀な生徒が集まる進学校に行くことが出来た。「勉強について行けず、いつも赤点で本当に、3年間いやになった」と言っていた生徒がいた。高校側も困ったことだろう。
受験の進学校を話し合う三者会談で、教師側から、はっきりと意見が言えなくなっていった。そのための不信をもたれることもあったし、言ったことが外れればやっぱり、不信をもたれることもあった。

 そして試験なし、内申書と面接及び論文だけで、合否が決められる特色化選抜の制度は、様々な矛盾も出てきたことで、二回に分けられてきたものをかつてのように一本化するなどと、大きくその実施方法の変更を余儀なくされているところも出てきている。長い年月をかけ、結局は元のやり方に戻っていくということではないか、そう思えてならない。
「たった一回のテストの結果だけで受験の合否を決めるのはおかしいだろう?」と脅かされて始まった制度だった。

 面接は本人の人間性(及び表現力)を見るものだったが、ふたを開けてみれば、どの学校でも不合格者を出さないためには「面接の受け方、どのように答えると合格しやすいか?」について生徒の訓練を実施した。様々な質問の選択肢を用意し、無難に答えられるように指導することになった。多くの、はっきりとした志望動機を持たない生徒にも、本人の口から、自分の志望動機を面接の場で言わせるようにするのも大変なことだった。今振り返ってみると、面接試験の会場はいつしか、演技指導の競い合いの場と化していたのではないかとさえ思えてくるのである。

 当然ながら、合格者を多く出した担任や学年の評価は高いものになった。
 若いころ、私は。自分のクラスで不合格者が3人いた。学年で一番多かった。あの先生は進路指導が弱い、と、かげで言われた。

(2)通信簿の評価が「相対評価」から、「絶対評価」にかわった。相対評価とは1から5までの割合をパーセンテージで決めていくものである。絶対評価とは、題材ごとに理解している割合ごとに1から5までの評価を出していくものである。そして、絶対評価が導入されたとき、全員が5になることもあり得る、といわれた。

 しかし、それと共に進められた特色化選抜制度で、1から5までの評価で進路の合否が決められているわけで、5をたくさんつける教師は、合格できる確率も高まった。「去年のうちの子は4がついていたのに、今年は3しかつかない、これじゃ進学で不利になる。困る」というような話が漏れ聞こえてきた。

 教育委員会からは「いくら絶対評価と言え、学校によって5の数があまりに違うのは困る。きちんとした評価基準を各教科つくるように!」という通知があり、先生方は必死に評価基準を作った。これは大変だった。様々な経過をたどり、結果的に昔のように、相対評価を中心にしたものに収まってきているように思える。

(3)「最先端の教育機器は使いこなす教師にならなければ時代に取り残されるぞ!」と脅かされ続けて・・・。
いろいろなところで言ってきたことであるが、私達教師は、昔はガリ版と鉄筆、そして輪転機で印刷物を一枚一枚作ってきた。それから、投射ファックス、ワープロそして現在のパソコンの時代まで過ごしてきた。そして今電子黒板の時代でもある。

 いつも覚えれば便利になる、仕事は楽になる!と鼻っ面ににんじんを下げられて後ろから追い立てられるようにいつも自腹を切ってそれらを覚えるべき必死に頑張ってきた。
なかなか覚えられない教師は若い仲間からは、やっかいな存在と映ったこともあった。パソコンができない学年主任が、進路の資料が作れなくて、ただでさえ忙しい担任に
その仕事が回り、お互いに不信感から学校に行けなくなった職員が出たこともあった。

 生徒一人一人の成績などの個人情報の流出が相次ぎ、学校からパソコンや、USBの持ち出しができなくなった。家では仕事が出来なくなった。今までであれば、学期末の通信簿は家に持ち帰り、夕食終わってから夜中までかかって仕上げたのにそれが御法度になった。

 通信簿もすべてパソコンにデーターとして保存されるようになった。誰の書いたものも誰でも見れるようになった。お互いをお互いで管理できるようになったとも言える。
それらを、すべて教育委員会で管理するところも現れた。最近、どこかの教育委員会でそのデーターをそっくり盗まれて問題になった。

 コンピューター使って最新のデーターを活用して授業が出来るようになった!ということだったが、不用意なパソコンの活用でデーターの流出の危険性がある、ということで、授業に活用する場合は、前もって活用計画書の提出が求められるようになった。そうすると、すぐ使え、最新のデーターを使うコンピューターでの授業は出来なくなった。そんな面倒くさいのなら、今までの黒板とチョークで・・・となった。
しかし、これらの教育機器に関して進んできた実態は、誰か悪い人がいて起きた事態ではない。避けることが出来なかった事態である困難さがある。

2、終わりに

 多くの教職員が、退職して学校に行かなくて済むようになると、言いようのない解放感に包まれる。そして、退職して例えば学校の前を通ったりすると、「よく俺はあんな風に頑張ってきたなあ」と我に返る。まるで、長い夢から覚めたかのように。

 そして多くの教師に管理強化が進み、自分らしく生徒に接することが出来なくなり、その結果、生徒や保護者との信頼関係を築くのが難しくなった。職員同士も協力しあうことがかつてのように出来なくなった。組合運動が困難になってきた。そして職場が、ストレスの源になるケースが特段に増えた。教育の「きょ」の字も嫌になった。人と人のつながりも面倒なものになった。その結果、「組合の退職者の会」などに入らない人が激増している。

投稿者のコメント

 しかし、そうした事態は教員が厳しい管理強化がもたらされ、労働強化がかつてない規模で教職員にもたらされたことで起きた、作りだされた事態だったのだと思う。
だから、退職したことで、私達教員の退職者は今度は、職場を離れ、そうした非人間的な状況から時離れることが出来た。
 そう考えてみると、これから、私達の取り組みが、現職の時はなかなか困難だった助け合いやいたわり合いと行った人間的なものとなるならば、それは、退職した人達の心に響くことになるはずであり、それは私達にとり有利な条件となるのではないかと思います。
 何故なら、何回も退職者の所に足を運ぶことで信頼関係が生まれ、加入してきている人達がいることはいるのですから。